松井章圭(まつい しょうけい*)
極真会館館長。
1963年東京生まれ。
17歳で全日本大会に初出場、いきなり4位入賞を果たし、以後出場した大会全てに入賞。特に第17、18回の全日本から第4回世界大会までの3連覇は、極真史上最高の金字塔とされています。第4回世界大会の準決勝戦では、イギリスの「黒豹」マイケル・トンプソンと接戦を繰り広げ、大山総裁による異例の延長続行宣言により5回もの延長戦を経て、最終的に松井の右上段廻し蹴りが決まり、大会最高の盛り上がりを見せると共に、松井の尋常ならざる精神力の強さも見せつけました。続く決勝戦では、後にK-1選手としても有名となったスイスのアンディ・フグと対戦。誰もが苦しんだアンディの得意技「踵落とし」に対し、見事なカウンターを決め、王座の海外流出を防ぐ事に成功しました。
また、極真最大の荒行と言われる「百人組手」を完遂。パワー重視の組手が一般的になってきた当時の極真空手に、技の空手を蘇らせました。特に空手最高の技法とされる交差法(合わせ技。いわゆるカウンター)の使い手として名を馳せ、その類い稀なる勝負センスとクレバーな試合運びは、大山総裁に「空手の天才」と言わしめた程でした。
1994年、大山総裁逝去後、2代目館長に就任。大山総裁が熱望していた「空手界の大同団結」を実行せんと、「門戸開放」を宣言。空手他流派、また空手以外の格闘技団体とも友好関係を結ぶ事とし、正道会館主催のK-1等の大会にも極真の選手を送る一方で、極真の大会には他団体の選手もより参加しやすくなるよう尽力しました。
※松井館長の下の名前の読み方は本来「あきよし」なのですが、大山総裁は松井館長の名前を音読みで「しょうけい」と呼ぶのを好んでおられたため、現在、公の場では後者の表記が統一して使用されています。
極真会館館長。
1963年東京生まれ。
17歳で全日本大会に初出場、いきなり4位入賞を果たし、以後出場した大会全てに入賞。特に第17、18回の全日本から第4回世界大会までの3連覇は、極真史上最高の金字塔とされています。第4回世界大会の準決勝戦では、イギリスの「黒豹」マイケル・トンプソンと接戦を繰り広げ、大山総裁による異例の延長続行宣言により5回もの延長戦を経て、最終的に松井の右上段廻し蹴りが決まり、大会最高の盛り上がりを見せると共に、松井の尋常ならざる精神力の強さも見せつけました。続く決勝戦では、後にK-1選手としても有名となったスイスのアンディ・フグと対戦。誰もが苦しんだアンディの得意技「踵落とし」に対し、見事なカウンターを決め、王座の海外流出を防ぐ事に成功しました。
また、極真最大の荒行と言われる「百人組手」を完遂。パワー重視の組手が一般的になってきた当時の極真空手に、技の空手を蘇らせました。特に空手最高の技法とされる交差法(合わせ技。いわゆるカウンター)の使い手として名を馳せ、その類い稀なる勝負センスとクレバーな試合運びは、大山総裁に「空手の天才」と言わしめた程でした。
1994年、大山総裁逝去後、2代目館長に就任。大山総裁が熱望していた「空手界の大同団結」を実行せんと、「門戸開放」を宣言。空手他流派、また空手以外の格闘技団体とも友好関係を結ぶ事とし、正道会館主催のK-1等の大会にも極真の選手を送る一方で、極真の大会には他団体の選手もより参加しやすくなるよう尽力しました。
※松井館長の下の名前の読み方は本来「あきよし」なのですが、大山総裁は松井館長の名前を音読みで「しょうけい」と呼ぶのを好んでおられたため、現在、公の場では後者の表記が統一して使用されています。